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とあるクリスチャンの日々の雑考

福音書は信頼できるのでしょうか?

 まず、新約聖書の「福音書」はエスの弟子たちの「目撃者情報」であり、4つの福音書の中で、最後に書かれたヨハネ福音書でさえ、紀元90年頃には完成していたと言われています。つまり、イエス・キリストを拒否する人たちがまだ多く存在していた時代に書かれたのです。

 いい加減なことを書いたら必ず批判される中で書かれました。

 また、先週も話しましたが、イエスの生涯が伝説や神話になりえない、とても早い時期に書かれたことも重要です。

史実として広く認められている、「アリアノス」や「プロタルコス」などのアレクサンドロス大王の伝記でさえ、死後400年以上たってから書かれたものです。

 こうした歴史書に比べれば、まさに福音書は「ニュース速報」と言えるでしょう。

 また、写本の数とその古さでも新約聖書の右に出るものはありません。

例えば、新約聖書と同じ時代に書かれた「タキトゥス」でさえ、現存する写本は20冊ほど。しかも最古の写本は紀元1100年。一方、「新約聖書」はギリシャ語で5000以上、ラテン語で10000以上、その他の言語で9300もの写本が見つかっており、新約聖書の写本は桁違いに多いのです。そして、最古の写本も紀元130年とそれ以外の歴史書に比べて、書かれた時代にずっと近い写本が見つかっています。

 ですから、もしも新約聖書に歴史書としての価値がないとするならば、同時代の他の歴史書はすべて捨て去らなくてはなりません。私たちは、書店で売られている新約聖書をれっきとした「歴史書」として、信頼して読んでいいのです。

 それでも福音書には、イエスが処女から生まれ、盲人の目を開いたり、死人を復活させたり、パンを増やし5000人以上の人が満腹になるまで食べさせたり…信じがたい「奇跡」がいくつも書かれています。

「事実が書かれた歴史書としては福音書を読む気になれません。」こういう声が聞こえてきそうです。

 たしかに、現代人に「福音書の全てを信じろ!」と言うのは難しいかもしれません。

 しかし、福音書のある箇所は事実として読み、「処女降誕」など科学では説明できない奇跡は嘘や勘違いだと決めつけて読むことは許されるのでしょうか?

 弟子たちが間近で目撃した事実、命がけで後世に残そうとした事実です。私たちにとってどんなに説明が難しくても、「事実、起きたことは起きたこと」として福音書を読むことはできないのでしょうか?