はじめまして。
私は札幌市の脳神経外科で働く47歳の看護師♂です。
家族は妻と高校生と小学生の娘、猫1匹の5人(?)家族です。
2年前の4月にプロテスタントの教会で洗礼を受けました。
中年のおっさんですが、クリスチャンとしては生まれたばかりの「赤ちゃん」です。
(想像するとちょっと気持ち悪いですが…^^;)
キリスト教ではイエス様を信じる決断をした瞬間、霊的に「誕生する」(ボーン・アゲイン)と言うんです。
私がこのブログを始めたきっかけは、まだまだクリスチャン人口が少ない日本で、聖書とキリストの福音について、自分が学んだり、気づいたり、考えたりしたことを、みなさんと分かち合いたいと思ったからです。
欲を言えば、宗教に懐疑的な日本人の中で、一人でもキリスト教に興味をもってもらい、信仰に導かれたなぁ、と思って始めました。
私は職場でクリスチャンであることをカミングアウトしているので、ときどきキリスト教について質問を受けます。
その度に感じるのは、クリスチャンや、信仰を持つことへの誤解です。
よく言われるのは、
「カトリック?プロテスタント?」とか、「お父さんお母さんもクリスチャン?」などが多いですが、「何か悩みでもあるの?」とか、「(心が)病んでるね~。大丈夫かい?」と心配されることもあります。
宗教というのは「心が弱い人」「心が病んでいる人」がやるものだというイメージが強いからでしょうか?
クリスチャンを含め、信仰を持っている日本人に幸せそうな人が少ないのも理由の一つにあると思います。
それは私たちクリスチャンの責任でもありますね。
私は、自分のことを心の弱い人間でも、不幸な人生とも思っていません。
何かにすがったり、助けを求めて信仰に入った訳でもありません。
信仰とは自分にはとても自然なことなのですが…。
しかし、日本の中では「風変りな人間」の部類に入るんでしょうね。
誰しも学生時代に、一度くらいは
「本当に神様はいるのか?」「人間は死んだらどうなるのか?」「人は何のために生きているのか?」
などなど、「人生における究極的な問い」について、考えたり、悩んだりしたことがある人は少なくないと思います。
しかし、社会人ともなれば、日々の仕事に忙殺され、人生の意味など考える余裕がなくなり、そのうちこうした問題について考える必要性すら感じなくなってくるのが普通かもしれません。
そんなことより、レジャーや趣味、楽しい事は世の中にはたくさんあります。
「人生の問題」などは考えるのは面倒だし、そもそも「答え」なんか見つかるはずもない。
そう諦めることが、「オトナ」になった証拠でしょう。こうした普通の日本人のなかで、私は変わり者なのでしょう。
答えを求め続けることを諦めませんでした。
信仰を持つまでの、詳しい思想遍歴についてはここでは省略しますが、心理学、哲学、宗教などについて学び、祈り、考えを巡らす中で、最後にたどり着いたのが、「世界のベストセラー」と言われる聖書であり、イエス・キリストなのです。